実は日曜日の未明に父が他界しまして、私が長男なので喪主として葬儀を一通り執り行ってきました。先週の金曜日に筑波大付属病院から終末医療を行うホスピスに転院したのですが、転院から2日であれよあれよという間に容態が悪化しました。「血圧の上が70を切ったらあぶない」と聞いていましたが、「血圧の上が70」を通り過ぎて「血圧測定不能」から11時間で亡くなりました。
もしかしたら転院させなければあと1週間程度は生きられたのかも知れませんが、近年のトレンドである「患者が苦しまないことを最優先とする治療方針」の下では患者が少しでも長く生きられることを最優先とはしません。このあたりは尊厳死とも繋がる話ですね。
先週木曜に父は死期を悟ったのか「18時間後に死ぬ」と母に話したようなのですが、結果的にはそこから3日経ってから、孫を含めた家族が全員集まれるタイミングを待っていたかのように、日曜未明に家族に見守られながら息を引き取りました。口を開けば茨城弁で喧嘩口調に聞こえる父ですが、実は人恋しい性格の父らしいなぁと思いました。
昨日、無事葬儀も終わり、今日は後始末をしているところですが、ムスメは父(祖父)に買って貰ったランドセルを背負って最後の登校をしました。葬儀の翌日がランドセルを背負った最後の登校というのも何か縁を感じます。
1年前にガンの告知を受けてから闘病生活を続けてきた父ですが、そもそもガンと診断されたときには手が付けられないくらいの末期だったのが残念でした。胃ガン(噴門部という、胃と食道の境界の部位のガン)だったのですが、ずっと前にピロリ菌の検査は受けていて、そこで菌が検出されなかったことから「胃ガンになる心配はないですね」と医師に言われていたことを過信してしまったようです。
父は筑波大病院に大変心酔していて、かれこれ26年ほど通院していました。最近では糖尿病科にかかっていたようなのですが、ガンと診断されるさらに半年前には体の不調を訴えていながら、「糖尿病」という切り口では何らガンの傾向が見られなかったことも発見の遅れに繋がった理由の1つだと思います。これが筑波大病院ではなく、街のかかりつけ医だったら、総合的に診察するのでもう少し早く異常に気がついたのではないかなと思っています。何でもかんでも大きい病院なら良いという訳ではないと思います。
筑波大病院での「患者が苦しまないことを最優先とする」治療方針ですが、少し前だととにかく1日でも長生きするように、ありとあらゆる薬や装置を用いて治療していたかと思いますが、父に施された処置はとにかく苦しくならないことを最優先して、余命のQOLを最大化するとのことでした。ですので、無理な切除術も行いませんでした。もちろんそれなりに抗がん剤は使い、毛髪は抜けてしまいましたが、徐々に体から失われる水分や血液もについては体の保水力に挑むようなことはせず、こういう表現が適切かどうか自信がありませんが——いわゆる「枯らす」ようなことをして、痛みや苦しみが少ない状態で死に向かう手法です。
ホスピス(終末医療施設)に転院させてからの最期2日はいよいよモルヒネ代替薬の「オキファスト」の持続注射が始まり、意識が朦朧としていたようですが、家族が集まったことはちゃんと認識してくれました。最期においても、自力でまぶたを閉じて眠るように亡くなったのが印象的でした。よく最期は大きく息を吸って亡くなるという話も聞きますが、父の場合はその少し前から呼吸がかなり細くなっていたので、最期の呼吸は吸っていたのか吐いたのかは厳密には区別が付きませんでした。まぁ吸ったとか吐いたとかいうのはどうでもいい話です。
父はホスピスに転院することを嫌がっていました。ホスピスに転院した知人がことごとく亡くなっていて、「縁起でもない」と思っていたからです。ホスピスの役割を考えればそりゃここに入った人はいずれ亡くなるに決まってるだろとツッコミを入れたくなりましたが、今まさに死に抗っている人には認めたくない事実なのだろうと思います。
ただ、父が入ったホスピス「つくばセントラル病院」(牛久市)はかなり良い施設で、もっと早くこっちに転院してた方がQOLが上がったんじゃないの?という気もしました。設備の明るさ、清潔さ、スタッフの優しさ、心配り、いずれもかなり一流でした。ちょっとアレなのがホスピス病棟の夜間出入口が産科棟(夜間分娩室だったのかな?)前を経由することになっているので、逝く命と生まれる命を交互に見ることになるのが気持ち的について行けなかったです。
…とここまで書いたところでホスピスから請求書が来たようです。うーむ、結構高いですね。これ、もし1ヶ月入院していたら、部屋にもよるんでしょうけど50~60万円はかかるんじゃないでしょうか…。ホスピスに闇雲に早期入院するのも考えものですね。
さて、1週間前にはムスメの中学生の制服姿を見せて喜んでくれた父ですが、1週間でここまでなっちゃうかなぁ…というくらい最期はやせ細って別人のような顔になってしまいました。ですので、棺に入っているのが本当に父なんだろうか、本当に父が亡くなったんだろうか、という思いは私もそうですが、周囲の皆も思っていたようです。
葬儀は我が家の伝統で神式で執り行いました。前回の葬儀は私の祖母の葬儀で自宅で行ったために簡略化した式次第だったようなのですが、今回は斎場で行ったのでフルバージョン(?)の神式の葬儀でした。お経も木魚も線香もありません。祭主は神社の宮司さんに依頼します。BGMは雅楽なので、お正月か?というような雰囲気です。
とりあえず、喪主として最低限の責務は果たせたかなと思います。あとは五十日祭(仏教で言う四十九日)を頑張ります。
そうそう、父の最期の言葉は母によると「夏掛け持ってこぅよ」(夏掛け布団を持ってきて欲しい、の茨城弁)だったそうです。既に夏掛け布団はかかっていたのですが、体温認知機能もだいぶ正常ではなくなっていたのでしょう。今までありがとう、というような言葉を述べるわけでもなく、日常の延長上にある「ふとした死」を目指していたので、それで良かったのだと思います。
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