津波被災地の旅(1)

遅きに過ぎた感はありますが、宮城、岩手の津波被災地を旅してきました。どうせ関東でも近いうちに大地震が来るというので、わざわざ見に行かなくても…と考えていましたが、自分の目で見ることで、微力ながら自分にも何か人に伝えることができるだろうと思い直しました。

初見なので、テレビ等で有名になった地域を中心に周ろうと計画。仙台までは新幹線で、そこからレンタカー借りて時間の許す限り海沿いを北上します。レンタカーはくりこま高原駅で返却。宮城県内なので乗り捨て料金無料なのです。本当は一関駅で乗り捨てした方が近いのですが、県境を超えてしまうため乗り捨て料金が高額なのでやめました。



新幹線は折角なので「はやぶさ」で。赤い「スーパーこまち」連結ですが、はやぶさの方へ乗車。



休日で朝も早いので、お客さんも少なめ。
ちなみに一人旅です。ツマは霊感が強いので、留守番です。



300km/hで北上します。東海道新幹線より体感できるくらい速いです。今は320km/h出す列車もあるようなのですが、「スーパーこまち連結」だと最速300km/hのようです。
写真はシグマ社の工場のある会津磐梯山付近だと思います。



仙台につきました。ここからレンタカーで北上するので、まずは南三陸町の防災対策庁舎を訪ねます。



被災地が近づくと、真新しい「過去に津波」の看板が目に入り、初見の私には緊張が走ります。海沿いに走っているとこの看板は至る所で目にします。看板をよく見ると、何か上から貼り付けてあるように見えます。akoustamさんの写真(1番下)によると、どうやらこの看板は元々は「津波浸水<想定>区域」のものだったようです。



南三陸町中心部に近づきます。ほとんど更地になった中に、1つだけ原形をとどめていた建物を見つけました。



水門のコントロール施設のようです。



水門自体、津波に呑み込まれていたことが、水門上部の照明の曲がり具合から解ります。



鍋が落ちていました。本来、こんなところにあるはずがないものです。樹脂の取っ手が外れているところに、津波の力を感じます。



防災庁舎に到着。最後まで避難を呼びかけていた遠藤未希さんをはじめ、数多くの職員が命を落とした現場です。ちなみに津波に飲み込まれる瞬間の、屋上からの写真がPDFファイルで公開されています。こちらの一番下です。

ここに来るまでは、防災庁舎にどういった態度で臨めばいいのだろう…と悩みました。観光客がふらっと現れて、写真を撮ることなんて許される雰囲気なのか…?と心配しましたが、来てみると入れ替わり立ち替わり人が訪れ、手を合わせ、花を供え、写真を撮ってゆきます。

報道で聞いていたとおり、被災地巡りの一日貸切タクシーも来ていました。このタクシーの運転手は、単なるドライバーではなく、地元の被災体験の語り部として、ガイドもするのです。

お客さんが尋ねていました。
「どうしてこの建物だけ残したんですか?」
ドライバーは答えます。
「マスコミがこればっかり取り上げるからだよ」



1F天井付近の曲がったフレーム。津波の威力が可視化されています。



周囲にはほとんど建物は残っていません。



しかし、北東側の丘陵斜面には、無事だった世帯があります。
この僅かばかりの高低差が、明暗を分けた訳です。



私がレンタカーで借りたプリウスです。「がんばろう」の文字はレンタカーだけではなく町のそこかしこで見ましたが、この凄惨な光景の中で、がんばれがんばれ言われても、私が被災者だったら「何をがんばれというの」という気持ちにもなってしまうような気がします。



三陸の景色はとても美しく、あれだけ酷い目にあってもなお住み続けたいという住民もいるのも頷けます。あの日、たった一日だけ荒れ狂って多くの命と財産を飲み込んだ海。普段の穏やかな海からは想像できません。

続く。次は気仙沼市に入ります。


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