病気のこと

そろそろ病気のこと書きますかね。

今月上旬に入院していた理由は、脳梗塞になったためです。

は?脳梗塞?キーボード打てるの?と思われるかも知れませんが、脳梗塞の中でも症状が極めて軽い部類で、確率20%とも言われる「後遺症なしで退院」ができたのです。

「脳梗塞」って縁がなければ「脳卒中」や「脳溢血」とか言う単語と区別が付きにくいかと思いますが、それらの関係性を示したのが以下の図です。血管が詰まって脳の一部が壊死するのが「脳梗塞」、血管が破れるのが「脳出血、脳溢血、くも膜下出血」というもので、それらをまとめて「脳卒中」と呼びます。

上の図では割愛していますが、私が発症したのは脳梗塞の中でも最も軽い部類の「ラクナ梗塞」と呼ばれるもので、人によっては何の症状も出なかったり、症状が自然治癒したりする場合もあるようです。体の動きに症状が出たので入院して治療することになり、無事軽快して退院できたというわけです。軽快と言っても脳梗塞を起こした箇所は壊死してしまっているのでそのままです。壊死してしまった部分が約1cmほどと比較的小さかったので、脳の他のエリアを使って機能が補完でき、後遺症なしの状態まで持って行けたのです。これが壊死した領域が大きいと、補完が効かず運動障害、言語障害など残ったり、死に至る場合もあります。テレビでよく目にするのは、長嶋茂雄さんの例でしょうか。

きっかけはある晩、娘の付き合いでファッションショッピングサイトの先着購入バトルに参戦していたときのことです。椅子に腰掛けて、田舎のヤンキードライバーのような斜めの姿勢でスマホを連打していたのですが、お目当ての商品は30分足らずで売り切れてしまいました。「買えなかったね、残念」と、斜めの姿勢にも疲れてきたので姿勢を立て直そうとしましたが、左手が思うように持ち上がりませんでした。気のせいかと思ったのですが、左手が何となく重い感じがします。同じものを持っても、左手の方が重く感じます。

あれ?これはもしや左半身に麻痺が出る脳の病気なのでは…と直感し、外に出て歩いてみました。一応普通に歩けます。異常なのか疲れてるだけなのか、いまいち判断が付きません。近所を100mほど歩いて帰宅すると、左足の靴が脱ぎにくいことに気がつきました。そして家の廊下を歩いている間に、意識せず体が左を向いてしまい、左の壁にぶつかりました。

やっぱり左半身が何かおかしい…そして頭痛はしていないものの、もし脳の異常だったら時間との戦いになると考え、近所の大きめの病院の夜間救急外来に電話して症状を伝えたところ、それはすぐ来て欲しいと。妻に車で送ってもらいCTとMRIの検査を受けました。その日の夜間当直は消化器の先生で、特にCT/MRI には異常は見当たらない、もし症状が悪化するようなら明日改めて神経内科を受診して欲しいとのことで帰宅させられました。

そして自宅に戻り就寝。翌朝ベッドから起き上がって寝ぼけながら一歩を踏み出すと、体がクルッと意図せず左を向きました。無意識では真っ直ぐ歩けないようです。そして同じものを持っても左手の方が重く感じるのは相変わらず、キーボードを打ってみれば左手側のミスタイプを連発しまともに打てず、ついには左手につかんだ歯磨きのチューブを床に落としてしまいました。

それを見ていた妻が「やっぱりおかしい」と言うので、再び妻の運転で病院を再訪。神経内科の受診をしようとしたところ「今日は予約のみの日だから受診できない」と一度は言われたのですが、昨晩緊急外来を受診して再訪するように言われたことを伝えると確認を取ったようで「緊急外来で診察する」と告げられました。

緊急外来に案内されると出勤してきた神経内科の先生が待ち構えていて、「ちょうど良かった、いま電話しようと思っていたところなんです」とのこと。「昨晩のMRIの画像を見ました。脳梗塞があります。ラクナ梗塞という部類のものです。今すぐ入院できますか?」

やっぱりそうかと腑に落ちた一方で、実感はありませんでした。「え?自分が脳梗塞?これで?」と。とはいえ、理性で考えればそれ系の脳の異常だったら時間との戦い。いやいや入院は面倒だし、なんて言っている場合ではありません。即入院する腹決めをして、少しだけ時間をもらって勤務先や今日アポ取っていた人にまずは電話で一報を入れ、次はストレッチャーに乗せられ点滴開始。この点滴が「発症後24時間以内なら有効な薬」で、脳梗塞の箇所の拡大を阻止する効果があります。その後同時に飲み薬を投与され、こちらは血管のこれ以上の詰まりを阻止する薬、いわゆる血液をサラサラにする薬ですが、副作用として出血があると止まりにくくなります。

点滴は断続的に丸2日行われましたが、入院して2日目の夜は頭痛で寝られませんでした。3日目の回診で主治医の先生にその旨伝えると、本来3日飲む計画だった血液をサラサラにする薬を止めて、次のフェーズの薬に移りましょうということになりました。その薬は、今後私が一生飲むことになる薬ですが、血液サラサラにする薬には違いないようです。

そしてその頃には、いつの間にか左半身の運動能力が復活していることに気がつきました。入院前ほどの違和感はありません。「知能」「上半身」「下半身」のそれぞれの担当者がついてリハビリが始まりましたが、「知能」は当初から怪しかったものの(←)、ある程度復活していたため、いずれも「これ、リハビリ要るの?」というレベルからのスタートでした。「リハビリ計画書」というのをスタッフが作るのですが、どう書いて良いか困惑しているのが分かりました。受け取った「リハビリ計画書の患者控え」を見ても、とりあえずルールだから作りましたという体で、有意なことが書いてあるようには見えませんでした。

それでも退院する前日である8日目までリハビリは続きましたが、すでに体は充分動くようになっていたので、どちらかといえば体力維持の観点で行っていた感じです。知能の方は「ひらがな処理」や「短期記憶」はからっきし苦手で平均以下のスコアなものの、「幾何(図形)処理」の方はパーフェクトなのはもちろん想定時間の半分以下で終わり、まぁいいんじゃないですかね、という結果でした。

治療面ではリハビリ以外に何をしていたかというと、まずは一生飲む「血液サラサラ」の薬が体に適合しているのか、他に副作用が見られないかを確認するのに3日かけ、毎日6回くらいバイタルを測定されました。その後、入院前から飲んでいた常飲薬も同時に投入するようにして、これも3日間バイタルを測定されました。

脳梗塞は動脈硬化が原因である場合と、不整脈が原因である場合があることから、入院中は常にワイヤレス式の心電図モニターを装着していました。こちらには異常がなかったようで、私の場合は動脈硬化で血管が詰まったことが脳梗塞の原因のようでした。このワイヤレスの心電図電極を体に貼り付ける粘着テープが実にベタベタで服に貼り付いたり服を汚したりしてとても困りました。専用のリムーバーがあるのですが、これまた高い。これです:

 

ここまで確認してようやく9日目に退院の運びとなりました。入院時には「2〜4週間は覚悟して」と言われたのでずいぶん縮まりました。入院中の病院食は基本的にはごく普通の「基準食」でしたが、最初の1食だけ誤嚥防止の流動食、そして退院が迫ってくるとこれも知識として知っておいて欲しいという理由で、「減塩食」「カロリー制限食」が出されました。孤独のグルメに出てくる病院食の「カレイの煮付け」が苦手なので出てこないことを祈りましたが、よりによって入院初日の夕食に出てきたときは自分のヒキの強さを実感しました。(月に1回くらいしか出てこないようです。)

退院に際して主治医からは、今後のこととして「運動と食事しか、できることはないんですよね」と言われました。図にすると以下のような関係性です。

高血圧、糖尿病、中性脂肪のどれもが動脈硬化の要因であって、それらは結局、塩分過剰か運動不足、肥満に基づくわけです。とりあえず即効性があるのは塩分で、入院から数えるともう3週間くらい塩分に気を遣った生活をしています。結果として今現在、血圧は平常値です。自分ってこんなに普通の血圧でいられるんだという驚きがあります。

塩分摂取量の目標値は1日6g以下なのですが、スーパーやコンビニのお弁当がだいたい塩分2〜4g、大好きな冷凍担々麺が4〜5g、冷やし中華(自分で作るもの)も1人前5gくらいあるので、一日6gという目標が現代生活においてなかなか高いハードルであることはお分かり頂けるかと思います。手作りのおでんは汁まで飲んでしまうとそれだけで6g突破です。

血圧が平常値になったことと引き換えに失ったのは、食事の楽しさです。正直、食事があまり楽しくなくなりました。分量も管理栄養士の資格を持つ妻が「まぁこんなもんだろう」と想定した量に従っているので、お腹いっぱいにもなりません。

脳梗塞経験者の50%が10年以内に再発するということで、美味いものをお腹いっぱい食べてもいいんですが、その向こうに待っているものを考えると美味しく食べられません。以前より私は「ご飯が美味しければ大抵のことは大丈夫」というのが持論でしたが、奇しくもその正しさを証明することになってしまいました。

「これくらいなら食べても大丈夫」って、屁理屈を並べながら食べてもいいんですよ。言い訳しながら食べてもいいんです。ですが、結果として再発してえらい目に遭うのは自分です。誰に対して言い訳してるんですか、って話です。

なお今回私が受けた治療はそれなりに副作用もあるようで、私がまだ54歳だから実施した面があるということもあるようです。これが80歳とかだと必ずしも治療するとは限らない(リハビリだけで済ます場合もある)とのことでした。

今回の件はちょっと職場でもざわつきがあったようで、「組合員は36協定で守られているが、何にも守られていない管理職の健康は誰が担保するのか」とか、「ハインリッヒの法則からすれば脳梗塞予備軍は30人はいるはず」とか、BCP(Business Continuity Planning)リスク案件として総務あたりも巻き込んで話題になっていたようです。ごめんなさいね、たぶん私の運動不足ですよ。

そういえば私は祖母が脳卒中(昔は「中気」と呼ばれていた)だったのを思い出しました。祖母は37歳で発症しているので、隔世遺伝という面もあるでしょうね。ちなみに祖母は70歳くらいまでは生きています。

でもまぁ、これくらいで済んで良かったと前向きに捉えています。私は人生においてけっこう運がいいと自分では思っているのですが、今回も後遺症なしでこれくらいで済んだことで生活習慣を見直すきっかけを得ました。もし今回の件がなかったらもっと先に、もっと重大な症状に遭遇していたんじゃないかと思います。

あとは知識ですね。以前より「この症状が出たら時間との戦い」というのは何となく頭に入れていたので、機敏に対処できたのは良かったです。20年くらい前に職場の50代の同僚が発症したときのことを鮮明に覚えていたのです。

退院後は何となくですが、刹那的になったのか笑いの閾値が下がった気がするのと、あと自分が亡くなった後には無価値になるモノに対して執着心が少し薄れた気がします。ジョブズの「もし今日が人生最後の日なら、自分は何をするだろうか?」という言葉に対しても多少実感が出てきました。

そういえば罹ったばかりだと飛行機に乗れないんですね。まぁ危なっかしいので1ヶ月は遠出する気も起きませんが。

コメント

  1. 宮川理恵 より:

    image.canonの記事を拝読しておりました。たいへんためになりました。
    脳梗塞の記事もみて、ついコメントです。夫の同僚も先日同じことが起きましたので、わが身のようで。お大事になさってください。

    • Kumadigital より:

      コメントありがとうございます。ちょっと人生観変わりました!細かいことが割とどうでも良くなったような…(笑

  2. […] この快気祝いという訳ではありませんが、いつもの三連星でランチをしました。お盆なのでTボーンステーキかとも思いましたが、店選びはbさんに丸投げです。その方がほぼ確実に良い結果が得られます。 今回は、渋谷スクランブルスクエアの13Fにあるスパニッシュレストラン La Coquina cervecería。(公式サイト) […]

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