だるま通信:好きな写真
アルジェさんが「クリスチャンラッセン」をキーワードにこのエントリを書いていると知ってから、幾度となく「はよ」の一言で(ひどい場合は無言ツイートで)急かしつづけ(笑 ついに公開。かなり読み応えのある内容になっています。期待を遙かに超えるボリュームなので、これは返礼の意味を込めて私も何か書かねばとアンサーエントリーを書いてみる次第。
実は私もネットでよく見かける(そして「東京カメラ部」では高評価の大勢を占める)彩度の高い、記憶色の枠からもはみ出ているであろう色合いの写真は食傷気味で、そういう写真が出回れば出回るほど、「自分では撮るまい」と意固地になっている自分がいます(笑 いや、でもたまには撮って載せたくなりますし、実際言うほど自分でも禁制していませんけどね(ぉ
にしても、アルジェさんのクリスチャンラッセンっぽい写真が近年持てはやされる理由に関する考察は「なるほど」と思わされました。さすが、人間ウオッチャー。
ところで、写真に拘りがある方はRAWで撮影される方が多いと思うんですけど、私もSIGMA DPシリーズではほとんどRAWモードを使います。JPEGでは得られない画質が得られるからです。しかしメインカメラであるEOS 5D3はちょっと困った状態で、RAW撮影して自分で現像してもカメラが生成するJPEGに勝てないんですね。単に私の現像の腕が未熟なのかも知れませんが、1枚2枚ならともかく、数十枚オーダーになるとカメラで生成されるJPEGに効率×画質の面ではかなわないと思います。
RAWの方が調整の幅が広い…とは良く聞く話ですが、個人的にはRAW現像で意図通りにできるケースってそうそうなくて、RAWでもJPEGでも調整時に破綻するときは破綻するし、8bitとか14bitとかいう以前にラティチュードが問題になるケースが大半です(私の場合)。なので、撮影時にいかに目的の絵に近づけておく方が大事だなぁと痛感しています。
自分の写真のカテゴリとしては、圧倒的に日常(家族)の記録が多いですね。ブログ用ブツ撮り:ブログ用サンプル:日常の枚数比率で言うと、3:1:50くらいかも知れません。そういう意味では「作品は撮らないの?」と聞かれれば、撮らないですねぇ。写真で言葉を語る人も多いですが、私から見ると情緒的な写真が上手な人って、情緒的な言葉を紡ぐのも上手な気がします。映画を観る本数とかにも依存するのかも知れませんねぇ。
裏を返せば、取扱説明書的な文章しか得意としない私には、状況説明的な写真しか撮れない、という訳です(笑 「濡れた金属がいい」と言われても、「おかしいなオレのクルマ、なんでこんなにワックスの乗りが部分的に悪いんだろう?」という方が気になるタイプです。
まぁ新しいカメラやレンズをお借りした際にはそれっぽいサンプルを撮ったりはしますが、それはどこかで見たことがあるような教科書的な写真であることが多くて、「画質はいいんだけど何が言いたいのかよく解らない写真」が多いなぁと我ながら思っています。いや、実際、サンプル写真にメッセージ性は込めていないし、込めるのも苦手だし、そうなるのも自明かなと。タイトル付けすら苦手なので、いいタイトルが付いている作品を見ると、作品自体よりもまずタイトルの命名センスに感心します。
そうそう、「作例」って「こう撮りなさいという見本」という意味があるらしいですね。それを知ってから私は「そんな、おこがましい」と恐れをなして、作例という言葉を極力ブログでは使わないようにしています。いや、あくまでマイルールですから、真似されなくても(笑。
で、日常の写真が多い件ですが、別に誰に見せる訳でもなく、自分(と家族)で見返してニヤニヤできればいいのかなぁと思っています。自分が見ていたものをある瞬間で切り取ったものなので、他の人に価値があるとは思えないし、自分が老いて死んでいくまでの間の心の支えになればいいなぁと。撮影した瞬間の現場の雰囲気とかの想い出込みで。
そういう意味では「その時々の最高の技術で撮っておく」というキヤノンの(中の誰かが仰ってた)思想には共感する部分もある訳ですが、まぁ私(と家族が)この世からいなくなったら大半は「用済み」になるというか、ましてや子供の写真なんて子供自身はそんな見たくないでしょうから、ある時代が過ぎれば消えてなくなっても誰も困らない写真を日々撮り続けているという訳です。
もう少し歳を重ねると「写真を世に問う」ことがしたくなるのかも知れませんね。
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