機動戦士Gundam GQuuuuuuX 完結

機動戦士Gundam GQuuuuuuXが終わりました。

過去のガンダム、富野由悠季氏の著作物、スタジオカラーやガイナックスの過去作品(ふしぎの海のナディアまで)、乃木坂46、セーラームーンなどのサブカルチャーからのオマージュをこれでもかと詰め込み、それでいて幅広い世代×世界的に広い地域で受け入れられやすいポケモンのキャラデザイナー・竹氏によるキャラクターと、オシャレな音楽、ガンダム慣れしている古参ファンが「あっ」という展開など、とにかく凝った作りでした。12話しかありませんでしたが、24話くらい見せられた気分です。しかも深夜 0:29 から放映ですから、終わって寂しさもある反面、これで生活サイクルを乱されずに済む、という安堵感もあります。

オマージュといえばSNSでもあまり指摘がなかったのがラストシーンのマチュに対してハロが「ドコカイタイノカ?」と訊くシーン。あれは「ポケットの中の戦争」のラストシーンですよね。ポケ戦からの唯一のオマージュでしょうか。

主人公が1人も殺さない、ザビ家以外に主要キャラが死なないなど、少し前までのガンダムが多用してきた凄惨さで心を抉られるような手法は使わず、「人の相互理解」「もし別の人生があったら」「自由を得るということ」というような、わりと広い範囲に受け入れられるテーマを軸に据えたのも良かったと思います。このあたりは各所にある実物大ガンダムや、関連施設でのテーマとも一貫性があるように感じます。(ですが、たぶんこのあと公開になる「閃光のハサウェイ2」は昔ながらの凄惨なガンダム路線に戻っていただけると思います(笑))

キャッチコピーは「夢が、交わる」でしたが、これは当初「サンライズ」と「スタジオカラー」の交わりのことを指してるのかと思いましたが、最終話まで観た感想だと「シュウジの夢」と「マチュの夢」が交わった結果ああなった、とも解釈できるかなと思いました。一方でそのラスト近くでのシュウジとマチュのやり取りは、シュウジを富野監督、マチュを鶴巻監督に見立て、鶴巻監督から富野監督に対する謝辞とラブコールのようにも見えました。

結局シュウジの正体が分からず、そこだけモヤりましたけど。

「エンディミオン・システム」が古谷徹繋がりでセーラームーンからのオマージュだと知った時には腰が抜けましたけど、さらに「エンディミオンは生まれ変わってもプリンセス・セレニティを守る」という設定を知り、アムロの魂の転生であるかのような印象をさらに強く持ちました。古谷徹、池田秀一、潘恵子の揃い踏みが話題になりましたが、さすがに年齢的に厳しい感じがしましたね…お三方とも…。「エンディミオン・システム」が技術的にどういうことになっているのかも明らかにならなかったですね。

ファンアートで笑ったのは、ラストのビーチのシーンで、マチュ・ニャァンの隣でキラとラクスがロマンティクスしてたやつですね(笑。いやさすがに、そこはオマージュじゃないだろwww でも確かにラストがビーチなのはSEED FREEDOM と同じか…。

にしてもこれだけミッチリ詰め込んだのに不思議なのは、シイコさんとか黒い三連星、サイコガンダムのエピソードを省いても結末にはなんの影響もないというところですね。なぜそういうことをしている余裕があった…。シイコさんと黒い三連星とサイコガンダム、あとはビギニング部分(1.5話分)を省くと、正味7.5話ってことですか…。

しかしここまでのものが作られてしまうと、次のテレビシリーズ・ガンダムはどうすればいいんですかね。オマージュが一切なしの全くの別物にするしかないんじゃないでしょうか。「主人公が女の子」「悲しい結末にしない」「ガンダムに意思が宿っている」「スタイリッシュな映像と音楽」という勝ちパターンは見えたので、そこは踏襲するだろうと思いますが。

逆説的ですが、毎回「これは別にガンダムでやらなくてもいい」と言われながら作り続けられたのがガンダム。コンテンツとしての強さは、新作のたびに殻を破ることなのだろうと思います。

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