自立と言っても三脚に対するカメラの重さとかいう話ではありません。クマデジタルはできるだけデジタルガジェットの話を書きたいと思っていますが、実体はただの個人ブログなので書きたいことを書きます。今日は子供の自立についての話です。いや、ちょっと子供の自立について悩んでいるところがありまして。
最近、職場でこういう話を聞きました。
「2人目が生まれたら、2人目のことは放っておいて、1人目に愛情を注げ。『あなたはお兄ちゃん(お姉ちゃん)なんだからしっかりしなさい』と言いがちだが、意外にも2人目が生まれたら1人目が愛情不足になる…とカウンセラーに言われた」
ああ、なるほどなぁと思いました。言っちゃうよね、『あなたはお兄ちゃん(お姉ちゃん)なんだからしっかりしなさい』って。絶対言う。というか、これを言われないで育った兄弟の上の子なんているのか、って言うくらいありがちなセリフだと思います。
そこにさらにこういったお話しを見つけましたのでご紹介。これが上記のカウンセラーの言葉に実にピッタリ繋がるんですね。
SAFTY JAPAN / 激動の時代を「生き抜ける」子供の育て方 より
ある子はとても面倒くさがり屋で、宿題もなかなかやらないし、やってもいい加減にやる。小中学校を通してずっとそうだった。ところが、高校2年になったころから、人が変わったように勉強を始めた。それは、将来やりたい仕事が見つかって、そのために行きたい大学が決まったからだった。
学生時代は何事にもやる気がないと思われていたのに、社会人になったら急に生き生き輝き出す人もいる。こうした例はいくらでもあるのだ。
だからこそ、自立を急がないことだ。「自立、自立」とせかすと、かえって真の自立が遅れる。一見、自立したように見えても、くすぶったものを残しているので、どこかで何かの形で出てくる。ここには一つのパラドックスがある。
「無理に自立させると自立できなくなる」
「無理に自立させないと自然に自立する」
「自立させたかったら無理に自立させるな」子育てや自立の問題に限らず、このようなパラドックスは人生のいろいろなところに登場する。人生は不可解だが、だからこそ面白いともいえる。
しかし、最後に付け加えたいのは「甘えさせることと甘やかすのは違う」ということだ。
子どもはもう一人で寝たいのに、親の方が子離れできずに引きずることは「甘やかし」である。子どもを見ずに、親の都合で甘やかしすぎると、本当に子どもの自立を妨げることになる。その「区別」をしなければならない。
甘やかしを避けるためには、親がよく子どもの様子を見て、いつもその心の状態に気を配り、自立の時期が来たと思ったら、うまく「手放す」ことだ。そうすれば、子どもは自分の“羽根”で空を飛び始めるだろう。
すみません、ちょっと引用が長くなってしまいましたが、今の私にはとても腹に落ちました。
「無理に自立させると自立できなくなる」
「心の状態に気を配り、自立の時期が来たと思ったら、うまく『手放す』」
特にここに留意して、子供たちと付き合っていきたいと思います。
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