「撮って出し」に込められているのは自己顕示である

「撮って出し」という表現があります。この言葉には主に、2つの意味があると思います。

1.映像、写真の出来の悪さを予めおことわりしておくもの。
「撮ったままなので、撮影者の意図が十分反映されていなかったり、補正なども十分行われておらず場合によっては見苦しいかもしれませんがご容赦ください。」
品質より速報性を優先する場合などにも使います。

2.映像、写真の出来の良さを誇示するもの。
「このカメラはただ撮影するだけでこれだけの映像を得ることができます。」
「私はカメラの機能や、被写体の撮影条件を意図した通りに操れる能力に長けています。」

 

出来の悪い映像、出来の良い映像、どちらにも使うというとても面白い表現です。

 

一方で、写真や映像で何かを表現しようとする場合、その意図を込めるために、色調を補正したり、画角や動画であればシーンの長さや順番を編集したりすることがあります。それは「撮影条件を変化させて撮影し直し」という手段かも知れませんし、撮影後にパソコンやスマホなどを使って加工する方法かもしれません。

従って、特に速報性もなく、誰もが使う普通のカメラで撮ったすごい写真に対して「撮って出し」というキャプションが付いていた場合、「私はカメラの機能や、被写体の撮影条件を意図した通りに操れる能力に長けています」という主張をされていることになります。後で加工編集するのが得意かどうかは分かりませんが、とにかく撮影時の工夫でここまでできます、という主張です。たとえば手振れ補正すらしきれていないコーヒーを抽出するだけの撮って出し動画で妙な艶っぽさを表現できるのとか、もはや個人の能力としか言いようがありません。(誰とは言いませんが褒めてます。)

よって「撮影者の意図が表現されているのであれば撮って出しかどうかはどうでも良い」というのはその通りなのですが、それはちょっと軸がズレていて、「そこに込められた自己顕示に共感するのであれば『いいね』しましょう」ということなのではないでしょうか。

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