私の職場でも14時46分に黙祷を実施しました。実際に多くの方が亡くなったのはその時間じゃないだろ、という無粋な突っ込みはナシです。象徴的な時間が必要なのです。
にしても、あのとき起こったこと、そしてあれから変わってしまったことに思いを馳せると、とても1分間の黙祷では足りません。もっとも、「昭和」の中盤以降は、天変地異の少ない期間と、戦後の復興、高度成長期が重なった奇跡的な期間だったのだと今では思います。そしてバブル崩壊、リーマンショック、大震災、原発事故…「生きてゆく」というのは本来、辛く大変なんだということを、「逃げ切り」ができない世代としては、改めて痛感する次第です。
国民の1人1台以上に携帯電話が普及し、職がなくても適切に生きていれば餓死することはない…いくら日本がダメになったと言っても、充分暮らしてゆける。その前提の崩壊の象徴が3.11だった……後にそう回顧されないように、努力していきたいものです。
写真は本日実施の「まちだ・さがみはら絆創光」プロジェクトのチラシ。
町田、相模原にお住まいの方、いかがだったでしょうか。
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