感謝

Apple Store, Ginza

本当のことを言うと「私の初めてのMacは…」という紹介には少し食傷気味なのだけれど、自分も書きたくなってしまったのでエントリ(ぉぃ

私の青春時代の要所要所にMacは出てくるのだけれど、それは学校だったり、就職した職場だったり、でもいずれも自分のものではなく、Macを買ったのはそれからずっと後。Windows 98が出た頃に PowerMac 6100/60の、今で言う「整備済製品」を買った。当時はコンピュータは今ほど生活に必要とされておらず、Windows 98と共に爆発的に売れ始めたPC/AT互換機でも買おうかと思っていたところ、アップルに勤める友人にMacを勧められたのだ。

個人的には本来はWindowsマシンを買わねばならない立場にいたのかも知れないが、まぁWindowsマシンは仕事で使ってるし、家に帰ってきてまであの画面を見なくてもいいだろうと、それにWindows以外のほかの思想に触れたいという思いが、理由としては一番強かったように思う。

Apple Store, Ginza

消極的な理由で選択したMacだけれど、その世界、その思想に引き込まれていったのは多くのAppleファンと同じだ。

アップルの創業者を意識したのは、彼がNeXTから戻ってきたあたり。生の彼の姿を見たのは、2001年の幕張のMac World Expoだったが、あそこから余命10年だなんて誰が想像しただろうか。産声を上げたばかりのMac OS Xを壇上でデモする元気な姿を当時撮ったビデオで見返し、何ともしんみりしてしまった。

10年前にジョブズが亡くなったとしても、日本のどこかに花束が積まれるというのは想像しにくかった。いまこの日本で「亡くなった米国企業の元CEO」として破格の扱いを受けているのは、彼がこの10年間に成し遂げてきたことの結果だ。そう考えると、10年間というのはあっという間のようで、人によっては世界の風景を変えることができる時間なのだろう。

ジョブズ以外はジョブズになれないのだから、彼の言うことはいちいち感動的でも参考にならないという思いもある。成功した創業者にありがちなレトリックだろうと冷めた気持ちもある。それでも数々の製品に込められた「モノの見方」は、私にとっては財産だ。彼と同じ時代に生きられたことを嬉しく思う。

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