孤独のグルメは、なぜ受け入れられたか

前回の眼底検査から1ヶ月と言うことで、病院に。ちょうどお昼頃解放されたので、瞳孔を開かれたぼんやりした視界でフラフラと、孤独のグルメをすることに。前回の検査のとき、ランチにハンバーガー食べた後に「ああ、こっちにすれば良かった」と後悔した蕎麦屋と中華屋の並びへ。良くメニューが見えない中で考える。「今日の俺は、何腹なんだ…?」

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「よし、ここにしよう」と決めたのは、蕎麦屋。目的はカツ丼だ。蕎麦屋のカツ丼。そういえばさっき眼科で「血管が細いんですよ。高脂血症とか動脈硬化とかありませんか?」と言われたような気がしたけど、次の食事から気をつけます…。

その蕎麦屋は駅前団地の一角にある、あまり「商売を拡張しよう」という気概が感じられない小さな店だ。このまったりした感じ、いいじゃないか。禁煙か喫煙か聞かれたけど、狭い店内で分煙できるとも思えない。幸い私以外は女子供ばかりで、たばこを吸う客はいなかった。私の斜め前の3歳くらいの女の子は猫舌なのか「ざる蕎麦」をオーダーした。蕎麦アレルギーはないのか、いいなぁ。

厨房からはカツを揚げる音がする。この蕎麦屋、天ぷらも勿論あるけど、フライ系はカツ丼のカツだけのようだ。どうやって揚げ鍋を分けてるのだろう。謎。

ほどなくしてトロトロ卵が掛かったカツ丼が出てきた。カツ丼本体と、味噌汁。箸休めは白菜の漬け物と、昆布の佃煮。

いただきます。

カツのサクッという食感と卵のトロッとした食感が口の中で渾然一体となる感じがいい。家ではちょっと作れないか、作るにしてもキッチンが祭りになりそうだ。

熱々のカツ丼をほおばりながら、井之頭五郎風のセリフが次から次へと浮かんでくる。「孤独のグルメ」の存在は、こういったその辺にある庶民的な店へ足を向かせる原動力になったのは間違いない。

個人で輸入雑貨商を営みながら、BMWに乗れるくらいの成功を収めている。なのに、一品数百円の料理を前にして「俺にお似合いなのは、こういうもんですよ」と言ってのける。へりくだりもなく、だ。

高度成長期を経て、日本は長らく「昨日よりいいもの」を求めてきた。世界標準的に見れば充分安全で高品質なものを昨日のものとして置き去り、より新しく、食べ物で言えばより美味しいものを求めてきた。

だが高度成長期の終焉とともに、我々は普段のちょっとしたもの、高度成長の中で置き去りにされたものの中に喜びを見いださざるを得なくなった…と書くと自虐的すぎるかも知れないが、大衆の食事の中に喜びを見いだすメンタリティが「孤独のグルメ」で全力で肯定されたことが、今回ブレイクした背景のように感じるのだ。

自分だっていま団地の一角の蕎麦屋でカツ丼を頬張っているが、孤独のグルメがなければ、たぶん「おひとりさま」の敷居が低いハンバーガー屋などで昼食を摂っていただろう。

ハンバーガー屋の雄、マクドナルドが価格の二極化が進み、中年男性がまともに食べようと思ったら700円はかかるようになってしまった。700円あるならもっと美味しいものが食べられるよね、とは思いつつ、その辺の地味なお店に向かわなかった足の向きを変えさせたのは、井之頭五郎の独り言の脳内プレイだ。「店を、探そう。今日の俺は、何腹なんだ…?」

蕎麦屋のカツ丼は美味い。
出汁の効いた濃い蕎麦つゆが、どっしりしたカツに合う。
「となると、この白菜の漬け物もありがたいぞ…。」

そんな五郎ちゃんなりきりモードで、溶けてゆく雪景色をぼんやり眺めがら孤独のグルメ。
ごちそうさまでした。

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