2011.3.12の個人的なドキュメント

その日たまたま私はdocomo, au, SoftBankの3社のケータイを持っていたが、どれが特に繋がりやすい、ということは感じられなかった。多少SoftBank(iPhone)のパケット通信が繋がりやすかったかな?という程度であり、逆に周囲で音声通話できていた人はdocomoかauだった。

夜半を待たずにiPhoneの電池が切れたが、あいにく充電手段は持っていなかった。行動を共にしていた同僚がiPhone USBケーブルを持っていたが、オフィスにあった複数台のパソコンではおしなべてUSB経由では充電は始まらなかった。理由はよく解らない。

iPhoneの充電は諦めて、会議室のイスを3つ並べた上で4時間ほどウトウトした午前4時頃だろうか、私鉄が動き出しそうだという情報が入った。併せてJRが7時に復旧予定という話も聞いたが、それを待つと凄いことになりそうだという同僚の薦めで、断続的に終夜運転していた地下鉄と私鉄を乗り継いで帰宅を目指すことにした。

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ところどころ「緊急地震速報」に伴う停車があり、のべ2時間弱ほどかかり無事横浜駅まで辿り着いたときには7時を過ぎていた。JRは予定通り復旧していたようだったが、運転本数が通常の3割~5割らしく人があふれていた。土曜日だったのがせめてもの救いだったと思う。

自宅に着くと長期出張から戻ってきたときのような反応で家族が迎えてくれた。地震の時の様子を聞くと、ツマは幼稚園の迎えで下の子を後ろに乗せ自転車を運転中、上の子は小学校のグラウンドに避難していたそうである。自転車に乗っていたツマは大きく揺れる看板やハンドルを取られる自転車の挙動から「今日は風が強いなぁ」と思ったらしいが、家から飛び出してきたご近所さんに「地震!」と言われて気がついたそうである。

自宅アパートの被害はほとんどなかった。大地震に備えて完璧と言わないまでも多少は手を打っていた結果だ。

・食器棚は揺れに反応するストッパーが2個中1個が作動しており、扉は開かなかったものの、棚の中でグラスが落下していた。下にあった常備薬の袋がクッションになり割れてはいなかった。

・ドジョウの水槽から水がこぼれていた。

・高いところに置いてあったプレステのコントローラやダンボーさんが落下した。

・キャスター付きの防湿庫はキャスターが揺れをいなすように動くので、場所が移動していたもののカメラ機材類は全数無事だった。

・27inch iMacは倒れないように小細工してあるのでまったく無事だった。

・37inchの薄型テレビも転倒防止紐を結んであるので無事だった。

しかし今日は土曜日。毎週土曜に纏めて買い物することになっている我が家の食料は底をついていた。疲れてはいたが近所のヨーカドーの開店を待って買い出しに出かけた。店内は東京電力の要請で省電力営業と言うことで薄暗く、多くの品物が「震災のため1人1個まで」のお願いがされていた。客の誰もがいつもより口数が少なく、黙々と買い物をするのが印象的だった。

クルマのガソリンもなかったので近所のGSに行ったのだが、「震災時給油可能SS」と書かれたENEOSではタンクローリーが来ずガソリンが枯渇しており販売停止中だった。「斜め向かいのコスモ石油さんならあと1時間くらいは在庫が持つらしいです」というENEOS店員のアドバイスでコスモへ。しかしそちらもレギュラーはすでに在庫がなかった。(私のはハイオクなので給油できた。)

ここまでやったところでようやく一息付けたのだが、もう午後も遅い時間帯になっていた。テレビでは福島原発の壁が吹き飛ぶ瞬間が繰り返し放映されていた。私は東海JCOの臨界事故を間近で経験したので、放射能事故の目に見えない不気味さはよく解る。

今回の津波に飲み込まれた全員が、まさか今日自分が死ぬとは思っていなかったはずだ。そう考えると、次は自分の番かも知れないという恐怖感は常にある。しかし幸い今のところ無事に生きていられている。命を落とした多数の方の無念さに冥福を祈ると共に、いまも恐怖に怯えていたり不自由な生活を強いられている被災者に対し、自分に貢献できることをしていかなければと思う。

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