2011.3.11の個人的なドキュメント

そのとき、私は新橋にある本社の分室のような建物の2Fにいた。あとで聞いたら築50年らしかったが、耐震補強はされているとのこと。揺れの途中で「バンッ」という音と共に壁にヒビが入った瞬間には建物自体の崩落を覚悟したが、単なるパーティション的な薄い壁だったようで、結果的には特に問題はなかった。

地震で机の下に潜ったのは初めてだったが、潜った方がいいのかそうでないのかはいまひとつ自信が持てなかった。ベニヤ板の机が自分の命を守ってくれるのか、奪ってしまうのか、両方のケースが考えられたからだ。

最初の大きな揺れが弱くなったのを見計らって外に飛び出した。新橋は狭い道も多く、建物から出たところで窓ガラスや外壁が降ってこない場所に避難するのは難しかった。建物から離れれば道の反対側の建物に近づいてしまうので、とにかく上を向いてどちらのビルから落下物があるのかを注視するしかなかった。

もともと丁々発止の会議中だったので、揺れが一段落したあとも余震の中で会議は続けられた。薄暗くなる頃に会議は終わったが、テレビでは電車が止まっていることがアナウンスされている。斜め向かいのコンビニに行ってみるとすごい人混みで、食料と言えば菓子類と若干のカップ類しか残っていなかった。

大通りの歩道は歩いて帰る人の波、そして車道は渋滞でピタリとも動かなくなっていた。

少なくともJRは本日中の復旧はないとテレビは言っていた。ビルに備蓄されていたアルファ米があとで支給されることが告げられたが、私は贅沢なことに「吉野家がいいなぁ」と思い行ってみた。10人ほどの列だったので並べないことはないか?と思ったが、列が全然進まないので諦めた。あとで職場の人に聞いたら「牛丼弁当20人前」とか買いに来ていた人がいたらしい。それでは列が進まないはずだ。

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日が暮れた頃アルファ米が支給された。意外と徒歩で帰宅した人が多かったようで、ビルに一泊を決め込んだ人数に対して米の量は豊富だった。電気ポットにあったお湯を米の量に対してひたひたに入れ20分待つと、信じられないくらい普通の五目ご飯が出来上がった。

お腹がいっぱいになるといよいよテレビを見ることくらいしかすることがないので、もう一度向かいのコンビニを覗いてみた。先ほどは残っていた菓子類、カップ類も売り切れ、食料と言えばキムチと漬け物、そしてガム、飴とエヴァのフィギュア食玩くらいしか残っていなかった。携帯充電器の類も完売しており、モバイル関連グッズではマイク付きヘッドホンくらいしか在庫がない。車道は相変わらずピタリとも動かず、タクシーは「いくらかかるか分からないよ」と客を断っていた。徒歩帰宅組の人の波も途切れることはなかった。この時点で20:00くらいだったように思う。

オフィスに戻ると、ここくらいしか休める場所がないと思えた会議室では、どこから出てきたのか紙パックの焼酎とポテチで、酒盛りが始まりつつあった。私も勧められたが酔っぱらってしまうと何かあったときの判断を誤る気がして、飲む気にはなれなかった。今夜はぐっすり寝られるわけではないので、疲れが取れない「飲酒後の睡眠」を避けたかったというのもあった。

こんな日もいずれは来るだろうと、横浜の職場からギリギリ歩いて帰れる範囲の所に、少し家賃が高いのを承知で住んでいた。しかしいざ大地震が起きてみれば私は都内に出張中で、とても歩いて帰れる距離にはいなかった。

アパートにいるツマから届いた「停電しているが何とかやっている」的メールを読んで、自分が家族に対してほとんど何もしてやれることがないという無力感で、とはいえまぁ、実際こんなものだよなと溜息をついた。先日自宅用に買っておいたパナソニックのLED懐中電灯のバッテリー寿命がやたら長いということだけが、私が「横浜市100万世帯停電」の暗闇で過ごす家族にしてやれたことだった。

コメント

  1. macchan より:

    ご無事で何よりでした。
    私も東京在住が長かったので、
    仲間とメールで連絡を取り合いましたが、
    やはり、職場泊がほとんど。

    昨年の静岡沖地震・震度6弱の時、
    私も、東京のホテルにいて、
    家族と離ればなれに。
    同じような思いを経験したので、
    お気持ちがよく分かります。

  2. TAKE。 より:

    お互いに無事で何よりでした。
    当方は地方勤務の為車通勤と言うこともあり、
    比較的スムーズに帰宅できましたが、東京勤務の
    身内などは軒並み翌日帰宅になったようです。

    肝心な時に家族に対して何もできないと言う
    気持ちは私も持ちましたが、嫁が言うには
    ささやかながらも施していた地震対策が
    効果あり、近所より被害が無かった、
    あんたのおかげだ、とのことでした。
    きっとクマデジタルさんのご家族も同じことを
    感じていらっしゃるのではないでしょうか(笑)。

  3. >> macchanさん

    ありがとうございます。
    泊まったところに暖房が入っていたのが救いでしたね~

    >> TAKE。さん

    そう、転倒防止とか大事ですよね~
    一番いいのは背の高い家具を使わないことですが…

  4. […] 未曾有の事態を招いた2011.3.11から10年経ちました。当時の記憶は当時のブログの記事にあるからあえて書きません。 […]

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